Day by Day

「…………誰これ」

 西天・金身羅漢の邸宅。あたかもここの第二の住人であるかのように、我が物顔で居座る月孛は、どこからか一幅の絵を取り出してきて睨み付けている。

 そこに描かれているのは見知らぬ男。長身痩躯の美丈夫で、凛とした涼やかな姿はいかにも理想的天将といったなりで── つまりは、月孛の好みではない。

「どれどれ…… うわ」

 月孛の手で広げられた紙を覗き込み、悟浄は思い切り顔を顰めた。大嫌いな、なるべくなら関わり合いになりたくない奴に会ってしまったというように。

 それまで月孛にとって、それはたまたま手に取っただけの絵で強い関心はなかったが、悟浄が珍しく露わにした嫌悪感に却って興味をそそられた。この温厚で誰にでも優しい叔父が眉を顰めるのは、いったい何者だろう。

「悟浄、誰だよこいつ。何でここに肖像画なんかあるんだ?」

「……月孛ちゃんは、この絵をどう思う?」

「俺が先に聞いたんだよ」

「ごめん。でも、感想を聞かせてくれたら教えてあげる」

 ずるいや、と言いつつ、その条件をのんだ。

「別に。当たり障りないって感じ。でも俺はあんまり好きじゃないよこういう小綺麗な男。悟浄の方がよっぽどいいや」

「……ごめん」

「? なにが?」

「それ、俺だよ」

「え?」

「捲簾大将時代の、俺」

「…………えええええええええ」


 もうずいぶん前。月孛など生まれる前かも知れない。 悟浄にとって色々な意味で古馴染みである二郎神君が、戯れに持ってきたのがこの肖像画であるという。『ずいぶん懐かしい物が出てきたぞ』と言って。

 悟浄自身、描かれたことなど知らなかった。イヤ、遙か昔過ぎて忘れてしまったのだろうか。捲簾大将として天帝に侍っていたのは、遙か千年以上昔の話だ。


 絵の中の捲簾大将はつややかな黒髪になめらかな白い肌。瓜の種を並べたような整った美しい歯並びでこちらに向けて微笑みかけている。

 対して、今月孛の目の前にいる悟浄は、紅い蓬髪がずるりと伸びて、青黒いごつごつした肌、獣じみた牙が唇の間から見え隠れしている。それでも、流沙河から出たばかりの頃に比べたら遙かに人間味のある外見になったのだ、とは父から聞いている。必死に画中の男と目の前の叔父に相似点を見いだそうとし、ようやく目元にかすかな面影を発見したが、それさえ思いこみかも知れない。


 ともかく、本人が言うことでもあるし、最初は気づかなかったが絵の上隅に「捲簾大将図」とある以上は悟浄の弁を信じるより他ない。

「悟浄はさ、西天について、それまでのこと許されたんだろ?」

「一応ね」

「その時、元に戻ったりは出来なかったのか?」

「元に戻ってほしい?」

 悟浄の問いに、月孛は首を横に振る。小綺麗なだけの男など何処にでもいる。しかしそういった連中はなんだか整いすぎてて好きになれないし、どれがどいつだか見分けもつかない。それに比べたら、月孛は今の悟浄の姿が好きだ。異形ではあるが決して恐ろしくはない。それに悟浄がいかに優しいかは、肌の色や歯並びで決まることじゃない。

「月孛ちゃんは俺がやってきたことを知らないだろうけど──知らないでほしいんだけど──でもそれは、どれだけ時間が経ってもなくなったことにはならない。墨を幾重に重ねても、下の墨が消えたわけではないように。

 俺には化け物だった過去がある。化け物として犯した罪がある。それは許されても、決して消えないんだ」

「……だから、その姿のままでいることを望んだの?」

 悟浄は答えず、ただ苦笑した。

「でも俺は今の悟浄が好きだよ」

 化け物であった過去があるおかげで、今の悟浄はいるのだとすれば。その過去まで全部合わせて好きだ。

 そんな素直な気持ちを告げると、悟浄は顔をクシャクシャにして笑った。否、涙は流さず泣いてるのだろうか。読めそうで読めない表情を浮かべる彼の口には、小刀の様に鋭い牙がのぞいている。


 墨重ねるように、時を重ね、日々を重ね。妖怪だろうと仏だろうと、俺達は永い時を生きていく。

 今、ここに悟浄が悟浄としていてくれることがとても嬉しい。

 月孛に分かるのはそれだけだ。


 悟浄の許可も取らず、月孛はいきなり手中の絵を破り捨てる。悟浄も何も言わずにそれを見ていた。

 紙屑と化した絵の一部、涼やかな捲簾大将の目元を著した欠片が月孛の手に残った。その絵と目の前の悟浄本人とを見比べる。

「悟浄」

「うん?」

「お前、いい男になったよ」