いんそむにあたちのひそかなたのしみ

 

 夜空の星を数え始めて、既に半刻。すっかり飽いた。
にもかかわらず、いまだ八戒の目は爛々と冴え切って、一向に眠れそうにない。

(羊数えんのもアリやって聞いたことあんなー)

 だが、目に見えている星を数えるのにも飽きるのに、居もしない架空の羊に何の効果が期待できようか。
 遣る瀬無さをどうにもできず、八戒は無意味な寝返りを繰り返す。

 大体、眠りたくて、横になっているにもかかわらず眠くないというのが八戒には我慢できない。
 惰眠・飽食・愛欲が三大モットーと自認するこの身が眠りたいのに眠れないなどあってよい筈がない。
 例えて言えば、目の前に満漢全席が並んでいるのに腹一杯で一口も食えないような、あるいは目の前にごっつええ女がおんのに勃……いやいやいややめておこう。

 まあとにかく、八戒にとってこれほど精神衛生上良くないことはない、というわけだ。



「……えーい、くそ!」
 苛立ち混じりに上げた声に、思いがけない返事があった。
「なんだ、八戒も眠れないのか?」
「兄貴! 起きとったん?」
「なんとなく寝付けなくてな」
「俺も俺も! まるっきり同じ!」
「何が同じだ。お前が眠れないのは昼間に寝すぎたせいだろう」

 きこーえなーい

 長い耳を顎下まで引っ張って聞かぬフリ。大きな耳はこういうときに役に立つ。

「しかしどうしたもんかな。お前何かいい方法を知らんか?」
「しっとったら自分で試してるっちゅーの」
「そりゃそうか」

 困ったものだ。

 何しろ悟空も八戒と同じで、眠れぬ夜を過ごしたことなどついぞない。対処法が分からないから余計にイラ付く。


「一般論やけど、単純なことするとええねんて」
「単純なこと?」
「せや。数を数えてみたり、簡単な作業を繰り返したり、そーゆー単純かつ退屈な作業を繰り返しとるうちに眠ぅなるんやて」
「単純作業ったって、何すりゃいいんだ……」

 そのとき、悟空の目に

 兄の苦労など露知らず眠りこけてる義末弟の姿が映った。







 翌朝。
 朝食の粥と油条を口に含みつつ、
 三蔵の視線は悟浄の頭部に釘付けだ。
「……あー、その、悟浄…………」
「なんでしょうか」
「……………………何があったのだ?」
「何があったんでしょうねえ」
 鈍い三蔵ではあるが、静かな静かな悟浄の口調に、底知れぬ怒りが込められていることは良く分かった。
「俺が知りたいですよ、本当に」
 そういう悟浄の髪は、大量の三つ編みを解いたばかりで、見事なカーリーヘアになっている。

 目が覚めたとき、彼の髪は一本残らず細い三つ編みとして編み込まれていた。いっそ執拗なほどに。





 そうして。
 そんな三蔵と悟浄のやり取りをやや離れた所にある木の下で聞いている兄弟子二人は、
「そーいや、前にもこんなんあったなぁ」
「うるせえ」
「何や、『やろー』言うたん兄貴やンか」
「うるせえっつっただろ」
「怒ると手ぇつけられんタイプやってンなー」

 樹下に縛り付けられた兄弟子二人の顎下には、墨跡も黒々と

『朝食ヌキ』

 と書かれた木片が掛けられていた。