鬼哭

ざ。
ざざざ。
ざざざざざざざ。

 水の音が怖い。

 水音に紛れて、どこから奴が来るか分からない。
 あの、赤い髪の鬼が。

 思いの外に激しい流れと、不可思議な浮力を持った水のせいで、岸に上がることが出来ない。ただ闇雲に、泳ぎまくる。
 何処へ向かうと知れず。
 水中は敵の手中と知りつつ。
 背後から奴の迫りくるのが分かる。それでも、ただ前方へ進む以外に術も無い。
《やっと来た……これで、九人目だ……》
「あ……く、来るな!」
 足が竦む。自分の体が自分のものでないような。声を出している実感すら感じられない。それほどの恐怖感。
 漸く、必死の思いで陸に上がるものの、背後の砂色の河からは自分めがけて長身の悪鬼が迫り来るのが解る。
 長い赤髪、
 鋭い歯、
 首にかけられた八つの髑髏……
 その全てが、禍々しい。
「来るな、頼む……来ないで、くれ……」
 抵抗する声も、徐々にか細くなる。しかし、そんな自分の声など端から聞こえていない様子で、悪鬼は水から上がって近寄ってくる。その間も、「九人目」がどうのと譫言を繰り返す。

 初めから、この河に住む鬼の噂は聞いていた。
 それでも、天竺に行くにはここを通るしかなかったのだ。
 後ずさりしていた体が何かにぶつかる。それは石碑だった。方向を転じようとした一瞬の隙をついて、悪鬼の手が自分の足を捕らえる。
「あ…………い、いやだ、助け……」
 そう叫んだ瞬間、右脚に鋭い痛みが走った。
(え……)
 恐る恐る、何故か赤く染まった直綴をまくり上げると……
 右脚がなかった。



「ああああああああああああああああああああ!!」



「玄奘?」
 気が付くと、そばに遷安和尚様がいた。
 また、夢を見ていたらしい。出家してからと言うもの、何度も繰り返し見る濁った河に棲む鬼の夢。
 夢の中、私は天竺に向かうといっていた。ではあの河は、何処なのだろう……
「玄奘、大丈夫か玄奘?」
 和尚様に肩を揺さぶられ、やっと正気に戻って声を出せた。
「あ……だ、大丈夫です。ちょっと、夢見が悪くて……」
「玄奘……」
 不安そうに和尚様が私を見つめる。
 和尚様は、寺で唯一私が見る夢をお話しした方だ。だからこそ、今もこうして来て下さったのだろう。
「すまなかった……わしがお前に出家を奨めたばかりに、却ってお前を苦しめているようだ」
「そんな……」
 和尚様をなだめるように、そして何より自分に言い聞かせるように私は言った。
「そんなことはけして仰らないで下さい。私は私の意志で出家したのですから」
 確かに。
 出家したことによって、仏陀は自分を救うどころか、更なる懊悩に突き落とした。いくら南無阿弥陀仏と念じても、どれほど経典を繙いても、足掻けば足掻くほど夢見は酷くなり、無明長夜に迷い込む。
 例え、そうだとしても。
「私は、私の意志で出家したのですから――」





 禅宗に「親に会えば親を殺せ」という言葉がある。
   でも私にはそもそも親がいない。
 仏教の教えは何事にも執着しないことだという。
   でも私には執着するものなどありはしない。
 全てを疑うことで初めて悟りに辿り着くという。
   でも私は最初から何も信じていない。

 ならば、私ほど悟りに近い人間もおるまい。

 そう思っていたのに、それが如何に思い上がりであったかを最近知った。
 夢の中の自分は、ひたすらに魔物の手から逃れようとする。殺されまいと。食われまいと。生に執着している何よりの証だ。
 こんなにも無一物の自分にも、まだ生きたいと願う気持ちがあったのかと驚く。
 だが、何の為に?
 自分はなぜ生きたいのだろう。ただ、今生きているが故に、か?
 ならばそれほど意味のない生はない。

 もしかしたらそれは、求めること自体に意味のない意味かも知れない。
 それでも、何もない自分には、家族も希望も持たぬ自分には、
 何一つ縋る術を知らぬ自分には、
 この無明長夜を抜け出させてくれる光は其処に有るのだと。





ざ。
ざざざ。
ざざざざざざざ。

 水の音。ああ、またあの夢だ。

 不思議と、その日は夢の中で、自分が今夢の中に居るのだと解った。
 だから分かる。もうすぐあの悪鬼に捕らえられる。逃れることは出来ない。声の枯れんばかりに泣き叫びながら、もう一方で冷静に事の成り行きを見ている自分がいる。
 悪鬼の手が右脚に触れた。さあ此処だ。これで喰われてお終いだ。
 その瞬間―― 何回、何百回と見てきたであろうこの夢の中で、初めて私は振り返り、自分の足を喰う悪鬼を視た。そして血を迸らせる自分の脚より衝撃的なものを発見する。

 私の脚を喰いながら、鬼は哭いていた。
 涙を流しながら、私の脚を喰っていた。




 私が自分の出生にまつわる一件を知り、祖父と父を求めて旅立ったのは、それからまもなくのことであった。





 時は流れて。

 ――観世音菩薩が瑞雲に乗り、消えて行く様を見届けた人々は、一堂に放心していた。その中で太宗陛下の声が朗々と響く。
「しばし法会は中止じゃ! 誰ぞ、朕の意を酌み、西天に仏を拝し経典を求めに行く者はおらぬか?」
 その言葉の終わらぬうちに、私は声を上げた。
「陛下! 未熟ながらも、私、犬馬の労をばとらせていただき、陛下の為にも真経を求め、邦家の礎を永久に固め、且つ彷徨える者と自分自身の為に西天への旅に出発したく存じます」
「おお、真か玄奘! よくぞ申した!」
 陛下の欣躍する様を見ながら、私の胸に浮かぶのはあの悪鬼の哭き顔である。

 哭きながら、私を、人を喰う悪鬼。
 それを知った時、私は悟った。渠もまた生きている。そして死を怖れ、生きる為に人を喰うのだと。望まずに喰うのだと。
 渠は知っているのだろうか。自分が何故生きたいのか。何故生きるのか。或いは、渠も私と同じ懊悩に身を焦がしているのだろうか。

 もしも――もしも私の学んできたことが、渠の闇を晴らすのならば。

 そんな淡くも甘い希望を持つことは、許されるだろうか。


 西へ。
 其処に、私の生きる意味があるなら。



 貞観十三年。
 御仏ではなく、鬼に惹かれて、陳玄奘は西天目指して旅立った。